――岡本さんが経営されているカフェの「オカフェ。」ですが、「おしゃれで美味しい隠れ家カフェ」と福井で話題になっていますね。 本日はぜひ、どんな経緯で「オカフェ。」を始められたかなどをお聞きしたいのですが、岡本さんは「オカフェ。」を始められる前も調理の仕事に就かれていたのですか?
はい。20代で東京に出て8年ほど住み、東京の和食料理店で働いていました。
――東京にいらっしゃったんですね。何がきっかけで福井に戻られたのでしょうか?やはり最初から、自分のお店を持つなら福井で……とお考えだったのでしょうか。
ちょっと言いづらいのですが、当時、結婚を考えてお付き合いしていた人とお別れすることになってしまいまして。
――えっ。
相手も料理人だったので、いつか一緒にお店を持ちたいという夢があったんですが、それも一旦リセット。 この先、私はどこで何をやって生きていったらいいんだろう、と、一時期わからなくなってしまったのです。
――そんな出来事があったら……そうなりますよね。よくぞ立ち直られて。
でも、その時改めて、いつか家庭を持って子供を育てるなら自然が豊かなところがいいな、ということも考えて。 「今が福井に帰るタイミングかもしれない」と感じたのです。 地元の友達も「戻っておいでよ!」と強く言ってくれたので、帰ってきました。
――うーん、私も同様の状況ならそうするかもしれません。でもじゃあ、「ここで店を持とう!」みたいな、夢キラキラな状態で戻ってきたわけではないんですね。
そうです、そうです。 で、戻ってしばらくは、スイーツを作っては友達や親戚にあげ、集まりがあれば作って行って配っていました。 そしたらみんなに「お店やったらいいのに!」と言われて。いつしかそれが私の夢になりました。
――身近な人に喜んでもらえたり、さらにそう言ってもらえたりするのはすごく力になりますよね。じゃあそこからオカフェへの道が始まるのですか。
いや、まだちょっと時間がかかるんですよ。 実はその頃、足の調子が悪くて、びっこを引いて歩く感じになってしまい、最終的に股関節の大手術をすることに。 その後しばらくは寝たきりで、リハビリ生活を送っていました。
――そうだったんですか。それは確かに、夢を追うどころじゃない……。しかも若くて、同世代は元気にやっているときに、自分だけ動けないというのは余計に気持ちもしんどくなりますよね。大変でしたね。
そうですね、あの頃は大変だったかも。 さらに、それが回復してきたかなという頃に父の癌がわかり、母とともに父の介護にあたりました。 父は闘病の末に亡くなってしまったのですが、その後は父の経営していた鐵工所を守るために働かなくてはならず、自分の好きな道に進むということはまったく考えられない状況だったんです。
――……なんというか、うまく言葉が見つからないのですが、人生って苦しいことが重なるときは本当に重なってしまいますね……。
でも、最終的に妹が鐵工所を継ぎたいと言ってくれたんです。 「お姉ちゃんは好きな道に進みなよ」って。
――妹さん……!
まあ、当時また、結婚する予定だった人とまた破談になるという事件があり、「先が見えない」状況に陥るわけですが……そこまで来るともう、「自分のやりたいことをやって生きる!できない言い訳はしない!」という決意ができたんですよね。 さらに、そのタイミングで「ともみちゃんカフェやりたかったよね?こんな場所があるんだけど……」と物件情報をくれた人がいて。
――すごい、決意したら道が拓けてきたんですね!
はい、人生が動き出しました。 なんだか結局、私の人生のターニングポイントって、いつも恋愛なんですね(笑)。
――それはもう女性としては非常に共感できるものがあります。失恋にせよ成就にせよ、恋愛って自分の価値観や人生を変えるくらいのエネルギーを持っていますよね。さて、オカフェのお話に至る前に、壮絶な人生のお話を聞いてしまい、尺が足りないので、カフェ設立以降の話は後編に回します!(笑)
【特集】何度転んでも諦めない。 起き上がるから、光が見える。~後編~に続く
(取材・執筆 吉田郁)